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アシタカの最後の言葉、「私はたたらばでいきる」は文字通りたたらばでいきるということなのか、たたらばは人間としての生活の場の暗示なのか、前者だったら、なぜかわからないけど、めちゃくちゃ落ち込むなあ、という……

性格(キャラクター)記号・身体的記号や、カテゴライズし、それを再生産していく過程て得られる権力=省略機能に依拠しない表現だからアシタカはかっこいい

例えば「ツンデレ」や「巨乳」といったカテゴライズはそのキャラクターを既知のものにするし、大体行動原理とかもわかってて、しかもそれが「流行り」だという社会的前提(利潤に基づいた)があるので、そのキャラクター自身を把握可能なものにするし、多様されることによって

表現の省略ができるという機能さえ果たすけれど、もののけ姫の作品にでてくる人間にはそういった既存作品の間で取り交わされるような記号によった表現に強く依存していないというところがすごい

なぜカテゴライズを用いないキャラクターが魅力的なのかというと、それは強力な他者性を持っているからだと思う。把握可能であると認識するものよりも、知らないことを持ち出す人間のほうが、圧倒的におもしろい

表現の自由は認められているけれど、表現自身が権力から自由なわけではない

もののけ姫が社会的少数者に焦点を当てていることに言及するならば、女性の身体的記号(胸の大小、瞳の大きさ、髪型)の表現を与えないことがすごいと思った。アニメのなかで女性の解放に視点をいれることはしばしばみれるが、

メタ構造でそれを成功させるのは非常に難しい。最近の例でいうと、クロスアンジュなどはメタ構造で女性の身体化に貢献しているのでこれに成功していない例だと思える。(クロスアンジュという作品自体の評価は差し控えたい)

アシタカがたたらばで生きるのは物語のテーマの範疇なんだからなにも不自然ではないんだけど、なんか落ち込むから自分には千と千尋くらいの何も覚えていないけど、確かな証だけがあるみたいな終わり方のほうが好みなんだなあ…

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