(untitled)

他者を表象するという行為を不可避的に学習として組み込まれているアジア史にはいってしまってなんて無責任な選択をしたんだと過去の自分を憎んでる。

現地に言ってフィールドワークしたい気持ちがさらさら生まれないので日本人(関東圏、女性、大学生)としての当事者性を自覚して学ぶしかない

日本人のアジアへのオリエンタリズムは無意識に残っているもので、アジア史としては日本人(自分)としてみるアジア人(他者)を規定することへの暴力性とその歴史を考えるところから入るから今わたしがやってるポストコロニアルリズム(植民地以後)はくるべき道だったんだ。ちょっと遅いけど…

今日衝撃だったのは「貧困を問題にして学ぶものは貧困者じゃない」ってことで、、、貧困について考えるているのにそれは大弁、翻訳、表象であり当事者性はない、、、そこでアジア史へのとてつもない道のりをかんじてしまった、、、

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
(untitled)(09.20)
(untitled)(09.18)
(untitled)(09.15)
(untitled)(09.14)
(untitled)(09.14)
(untitled)(09.14)
(untitled)(09.14)
(untitled)(09.09)
(untitled)(09.07)
(untitled)(09.07)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS